はじめまして

Roses Colored Tinted Colorful  - Free-Photos / Pixabay

私はトランスジェンダーの40代女性です。2011年にタイで性別適合手術を受け、戸籍を変更。現在は事業会社のデザイン部門で管理職として働いています。

プロフィールに書いた通り、私と同じ当事者の方にもそうでない方にも、このサイトを通じて私のような生き方もあるのだと知ってもらった上で、特に当事者の方が少しでも気が楽になってくれればと思っています。

これが初めての記事なので、プロフィールよりももうちょっと長めの自己紹介をさせてください。

目次

子供時代

1970年代生まれ。子供時代は祖母、両親、兄二人という家族構成で育ちました。

子供時代、自分が女の子であると思った明確な記憶はないのですが、小学生のときに『笑っていいとも』や『上岡龍太郎がズバリ!』でたくさんのトランスジェンダーが出演しているのを見て、自分も将来こういう風に綺麗になりたいと思っていた記憶があります。ネットもない時代なので、具体的な方法は全然わからなかったけど、自分が大人になる頃には簡単に手術で女性になれるんじゃないかとボンヤリ考えていました。

中学・高校と自分の身体が男らしくなるのが本当に嫌でした。ヒゲ、すね毛、広い肩幅。それに加えて校則で中学坊主にしないといけないのも嫌でした。
両親が教育にお金をかけてくれたおかげで成績はよかったのですが、将来ぼんやりとニューハーフ業に就くと思っていたので、高校や大学に行く意味がわからないまま勉強していました。両親の期待に応えるためというのが一番大きかったと思います。

今考えてもよく卒業できたなというくらい、学生時代は暗かったです。すごくいじめられたという訳ではないのですが、定期的に言われる「オカマ」という言葉に傷ついていたし、自分のことをさらけ出せない性格のせいか、単純にコミュニケーションがヘタなせいか友達もほとんどいなかったです。

一浪して入った大学生活は一人暮らし。入学前後はニューハーフのバイトをして手術代を稼ごうという予定を立てていましたが、ネットにそういう情報がまだ少ない時代だったのと、単純に踏み出す勇気がなかったため、何も行動できずに終わりました。

就職後〜SRSまで

大学を卒業して就職したのが2001年。最初のスーツを着なければならないのが本当に苦痛だったのと仕事内容も合わなかったため早々webデザイナーに転職。なぜwebデザイナーを選んだのかというと、将来海外でも仕事できるような職業で且つ服装がスーツじゃなくていいという理由からです。

なぜ急に海外で仕事したいという話が出てくるのかと思うかもしれませんが、その当時の自分としては、ジェンダー・マイノリティとして日本でずっと暮らしていくのは辛そうだから、いつか海外逃亡したいという気持ちがあったのです。

転職後、低いながらも収入が安定してきた20代半ば、やっとトランスのための行動を開始しました。まず精神科の通院。この頃になると「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(通称・特例法)」が施行されたため、どうやったら女性になれるかの情報が以前よりも得やすくなりました。

私が最初に通院したのも性同一性障害で有名な病院でしたが、5、6回通院して止めてしまいました。理由はホルモン治療や手術のためには自分が性同一性障害であることを両親に言う必要があることが分かったためです。当時の自分はまだ両親に伝える覚悟が持てていなかったし、自分自身が性同一性障害である確信も持てませんでした。もしかしたら自分はゲイで、自分の身体で男性っぽいところを少なくしていけば手術までせずとも満足するかもしれないと思ったのです。

とりあえずヒゲとすね毛の脱毛をはじめました。脱毛には多分1年半〜2年くらいで完了したと思います。ムダ毛がなくなると、自分の身体に以前よりは満足するようになりました。
このまま小綺麗な男性として暮らしていくのもいいかなと思っていたとき、私がホルモン治療と手術に踏み切ろうと決めた出来事がいくつか重なりました。

1つ目は能町みね子さん著『オカマだけどOLやってます。』との出会い。深夜のテレビ番組で紹介されているのを偶然見て、速攻で購入。
水商売じゃなくてOLとして働ける人がいることにまず驚いたし、希望の光が見えて嬉しかったのです。というのも、例え手術して女性になったとしても収入面での不安がまずありました。”ニューハーフ”業に就くには性格面で適性がないと薄々気づいていたため。絶対的に美を追求していく生活も大変そうだし、自分はそこまでの覚悟はないと思っていました。

2つ目は会社のビルでよく目撃した50代の男性。人工的な黒さの髪で、柄シャツとタイトなパンツをよく着ていました。おそらく若い頃はかわいいと言われていただろうと思われるフェミニンな顔なのですが、私はそういう風にはなりたくないと思ってしまったのです。
「今は若いからまだ中性的でもギリギリ受け入れられているが、40〜50代になったら無理! この男性のようになってしまう! だったら手術を受けて女性として生きることにチャンレジしたい!」 そう考えてしまいました。
今考えるとこの50代の男性に本当に大変失礼ですが、当時の私はそう思ってしまったのです。

3つ目は映画『トランスアメリカ』。性別適合手術を控えたMTFのロードムービーなのですが、若くないトランスジェンダーであっても夢に向かって突き進む姿、手術後の人生にも希望が持てそうな結末が大好きです。

これらがきっかけで手術を受ける覚悟を決め、ホルモン治療、手術代の貯金、両親へのカミングアウト、男性として勤務していた職場退職など粛々と2年程進めていきました。
34歳の時、2011年にタイで性別適合手術を受け、戸籍も女性に変更できました(名前も同時に変更)。やっと望んだ容姿での人生が始まりました。

SRS後〜現在

幸いなことに、手術した年に女性として就職もでき、その会社で現在(2020年時点)10年弱勤めています。

実はフルタイムで女性として生活し始めたのが手術後からだったのですが、自分が女性として周囲から認められているのかとても不安でした。今でも気にすることはありますが、以前程ではないですし、「トランスジェンダーだと思われてもまあいいか」くらいになりました。いい意味で鈍感になったのもありますし、自分は自分でしかないし、それでいいんじゃないかと思っています。

私はメディアに登場するトランスジェンダーの方達のように美人でもないですし、声も低め、骨格も女性としてはがっしりしています。それでも女性として会社に勤め、ささやかに幸せに暮らしています。

ブログを始めようと思った理由

なぜこのブログを書こうと思ったか。それはトランスジェンダーが生きやすい世の中にするために何らかの貢献がしたいと思ったためです。
ブログを書くことが貢献に直結はしませんが、有名人ではないトランスジェンダーが存在していて、楽しく生活できていることを世の中に示すことで、トランスジェンダーが特殊な存在ではないと考える人が増えたらいいなと思っています。

私はトランスジェンダーとしては恵まれている部類かなと思います。両親は80歳近いのに私を受け止めてくれていたり、友人も理解のある方たちに恵まれています。正社員として長年続けられている仕事もあります。

ただ、これはたまたまそういう場所・時代に私がいられたからであり、多くの先駆者のおかげです。
そして彼女たちのおかげで生きやすい時代になったものの、まだまだ問題も多いのが事実。

それらの問題を少しでもいいから改善し、自分が味わった苦労を私より若い人たちがしないで済む社会にできればと思っています。そのための一歩としてまずはブログから。

また、トランスジェンダーであろうがそうでなかろうが、みんながそれぞれの生き方をお互いに尊重し、認め合えるようになったらいいなと思っています。大多数が歩む道から少しくらいずれてしまっても、気にすることなく生きていけるような社会になればいいとも思っています。

私はドラマ『すいか』が大好きなのですが、その中である人が「いてよし!」と励まされるシーンがあります。自分が生きている意味があるのか、間違った道を歩んでいるのではないかと不安に感じている人物が、「いてよし!」と励まされるシーンが本当に好きで、落ち込んだ時によく見ています。

私のブログを見てくれた方が、私みたいな生き方もあるのだなと思ってもらえ、少し気が楽になってくれれば、「いてよし!」と自身で思ってもらえればと思っています。

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